シミュレーション仮説は「実はこの現実もゲームの世界かも?」という感じで面白いですよ

「シミュレーション仮説」を知っていますか?

シミュレーション仮説(シミュレーションかせつ)とは、人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティであるとする仮説のこと。 (wikipedia)


※私はWikipediaのシミュレーション仮説のページを読むといつも背中がゾクゾクしてしまうのですが、宇宙とか、「知覚できない大きな存在」みたいなものに恐怖を覚える人は閲覧に気を付けたほうがいいかもしれないです。

要するに、"我々が生きている現実は何者かによって行われているシミュレーションの一部かもしれない"ということです。

上記のWikipedia抜粋には「~であるとする…」という書かれ方をされていますが、この類いの哲学は「そういう可能性もあるよね」というニュアンスで提唱されていると思います(多分)。
水槽の脳世界五分前仮説も同じです。
胡蝶の夢独我論はちょっと違うかも。

私は哲学を専門的に学んでいるわけでもなく、インターネットと、少しの本の知識しかありませんが、自分なりにwikipediaを要約しながらシミュレーション仮説を 紹介していきたいと思います。
分かりやすさや自分の解釈を優先するので、実際のシミュレーション仮説とは異なる部分があるかもしれません。


「この世界は漫画やゲームなんかの物語の中の世界かも」とか、「そうだったらいいな」と思ったことはないでしょうか。
シミュレーション仮説はその名の通り「この世はシミュレーションである」という仮説ですが、本質的には「物語の中の世界かも」と変わらないと私は思っています。

この仮説の本質だけを抽出すると、「この世は何者かの手によって創られた世界かもしれない」ということなのだと思います。

本でも漫画でもいいですが、ゲームに例えるのが一番分かりやすいので、主にゲームに例えて説明していきます。

・「世界を作った何者か」の存在が現実に介入しているかも(擬似宗教的主張)

シミュレーション仮説では、「世界を作った何者か」の存在を、宗教における神に置き換えることができる場面が多々あります。
ゲームでいうところのゲーム製作者です。

ゲームで例えるなら、「ゲーム製作者」、または「プレイヤー」の意志がゲーム内に介入している、と説明するのが適切かもしれません。
ここで言うプレイヤーとは、「ゲームに介入できるゲーム外の存在」です。

私達がRPGで勇者としてゲームをプレイし、世界を救うように、またはシミュレーションゲームでパラメーターやオブジェクトを設定するように、「何者か」もこの現実に何らかの形で姿を現しているかもしれないということですね。


・「バグ」が現実にも存在するかも

Wikipediaのシミュレーション仮説におけるバグについての説明、ほぼゲームのバグなので、例える必要も要約する必要もあまりないです。

ゲームのバグみたいなものが現実にもあるかも、ということなのですが、wikipediaに「既視感などの奇妙な体験もバグとして説明できる可能性がある」とありました。面白い。
また、バグを発見しても「何者か」によって即座にバグの記憶を消される可能性もある、とのことです。怖い。

でも私は既視感を含めこの世の全ての現象はいずれ科学で説明できるようになると思っています。


・シミュレーション仮説に対しての反論

コンピューターにはこの世界をシミュレートできるくらいの高度な処理能力がない、という反論があります。
しかし、そもそもこの世界の外の世界、「何者か」がいる世界とこの世界の仕組みや常識が一致しているとは言い難いため、この反論は的外れであると言えるでしょう。

ポリゴン世界の住人が現実の解像度を想像できない(であろう)ように、我々も目の前の現実以上の解像度を想像できません。

だいぶ駆け足で紹介しましたが、面白さが伝わっていればいいなと思います。
興味を持っていただけたのであれば、是非wikipediaやシミュレーション仮説を紹介しているサイトを読んでみてくださいね。

それでは。