・ブログ記事のカテゴリ、もうちょっとなんとかしたい。ゲームはいいとして『生活』『思考』って何?分ける意味も謎だし。
『エッセイ』とかのほうがわかりやすいだろうか。しかしこれをエッセイと称するのは傲慢で気恥ずかしい。『日記』でもないしなあ。
・20代中盤にして、好奇心から初めて髪を染めてみたが、思っていたより特になんの感慨もなかった。家族や知り合いは褒めてくれたが。
私は、「自分が何を思うか」ばかりに重きをおいて、他我に関心がなさすぎるかもしれない。
・人はいかにしてオタクへと至るか
自らの人生を左右するほど熱をあげている何か──アニメ、ゲーム、芸能人、あとなんか色々。昨今においては、オタクとは言えない人を探す方が難しい。
今回は、アニメゲーム漫画系、『いわゆるオタク』『2次元のオタク』に、自分がどう至ったか、そのルーツと人がオタク化する傾向について記していきます(その人がどう"その人"になっていったかの話が好きなので)。
・幼稚園の頃から絵を描くのが好きだった。
幼少期の趣味嗜好がどこから影響を受けて形成されるものなのかわからないが、オタクになる要因として「(幼少期の)絵を描くのが好き」はわりと決定的な部類だと感じる。
・小学校中~高学年、同級生がドラマやバラエティを観始める中、いつまでもアニメを観続ける。
特に女子はドラマ・バラエティへの移行が早く、アニメの話ができる女の子は徐々に減っていく。
私は当時からかなりの逆張り人間だったため、周囲に卒アニメの風潮が強まるほどそれに抵抗し、ドラマは絶対に観ないぞと意固地になっていた。が、「GM~踊れドクター」だけは観ていた。
・6年生頃まで一緒にイナズマイレブンを観ており、放課後に毎日遊ぶようなとても仲の良い友人がいたが、その子は中学に上がって一切アニメを観なくなり、話が合わなくなって悲しかった。
単純にアニメの話ができなくなった、というわけではない。
そこには、オタク・オタクでない、の人生の分岐が強くあった。
中学生になっても変わらずアニメの話しかできない私。一方、友人の話題は人間関係の悩みや恋愛、今面白いドラマの話。興味の方向性が180°違ってしまった。
男子とは、6年生になってもポケモンとコロコロコミックと夕方のアニメの話をしていた記憶がある。あの時間には確かな輝きがあった。もう戻れない。
あにゃまる探偵キルミンずぅ、毎週欠かさず観ていたが、クラスに誰も観てる人がいなかった。
・親がオタク
一緒に遊んでくれるというよりは、ひとりでリビングでずっとアニメを観ているような親だった。今もだが。
弟もアニオタ萌え豚というよりは自分と同じくゲームとインターネットが好きなオタクなので、育ちの影響はかなり大きく出ていると思う。
・ハヤテのごとく!
ハヤテのごとく!のTVアニメ第1話をたまたま観てその面白さにどハマりし、幸運なことに漫画の単行本も買い与えてもらえた。親も読むからである。
土日の朝にプリキュアやウルトラマンを観た後の流れで放映されていたハヤテのごとく!は罠だった。あれはオタク英才教育漫画だ。
ハヤテはコメディの面白さもさることながら、とにかく絵がかわいい。
ハヤテ連載期、畑健二郎先生は絵柄の移り変わりが激しかったが、私は特に原作10巻あたりの絵柄が好きだ。三千院ナギ、ずっと完璧にかわいいヒロイン。
↑漫画が乱雑に並べられ、整理がままならないリビングの本棚。
・ゲームを買い与えられるのが周囲より少し遅く、買い与えてもらえた後も時間制限が厳しめだった。
DSを持っていないので遊びの輪に入れてもらえない。これはゲーム購入を渋った親ではなく、そのコミュニティが悪い。
この悪いコミュニティは当時の習い事先の話で、近所や学校の友人は集まってマリオカートをやるときなどに交代でDSを貸してくれていた。ありがとう。
買い与えられた後。
時間制限は1日30分まで←つらい。
子供の頃にゲームを制限されすぎると大人になってゲーム欲が爆発しがち、というのは宇多丸氏のラジオ「マイゲーム・マイライフ」内でも幾度となく触れられてきた話だが、弟と共にまさにそれを体現している。
プレイステーションpresents ライムスター宇多丸とマイゲーム・マイライフ
https://open.spotify.com/show/0nKl3QirVS0YMydJh9ktWf?si=o5oAxkeaRya7wB3fDZheng
ただ、ゲームばかりやると目が悪くなるという親の危惧も今となっては分かるし、制限を設けなければゲームばかりやって他がおろそかになる可能性もそれはあるだろうし、子供のゲームの制限はなかなか落とし所が難しくあると思う。
宿題やお手伝いなどのやるべきことをしっかり終わらせたら就寝時間の夜◯時までは制限なし、とかだろうか。どうでしょうか。
・インターネットに触れ、二次創作を知ってしまう。
これは既にだいぶオタクと化していた頃だったので深くは触れないが、オタクとしてどっぷりいくかいかないかの分岐はやはりインターネットだったのではないか。
小学生以降、中学生の頃の部活や友人関係は、自分の場合それに影響を受けてオタクとなったわけではなく、既にオタクとして出来上がっていた自分が自然とオタクコミュニティに吸い寄せられていた。
なのでやはり、自分にとってのオタクの分岐点は「観る番組がドラマやバラエティに変わっていくか、アニメを観続けるか」が出てくる小学生の中~高学年頃だったように思う。
周りと話を合わせるためにドラマやバラエティを観よう、という気がなかった。社会性。
オタクのルーツの話は以上です。いつもオチを考えずに記事を書いてしまう。良くない。
みなさんもTwitterとかで自分のオタクのルーツの話をしてみてください。
私は今からキタカミの里に行ってきます。
ではまた、機会があれば。